世界征服までのカウントダウン

好きなものを、好きな時に、好きなだけ。

トラジャ担二周年記念日

今年もまた、この日がやってきました。

5月16日。私がTravis Japanというグループを応援していこうと心に決めた日。そこに至る経緯についてはちょうど一年前の記事に詳しく書いてあるので、今回は省略させて頂きます。

前回の記事はこちら↓

skyfgomint.hatenadiary.jp

 

あれから一年。今日も私はTravis Japanが大好きで、如恵留くんが大好きなままだけれども、その間には色々なことがありました。

印象に残っているもので言えば、配信形態のサマパラという舞台でソロコンを敢行したり、ドキュメンタリー番組をシリーズ化してもらったり、全国ツアーを始動させたり。他にもたくさんたくさん、数えきれないほどたくさんの景色をトラジャは見せてくれた。色々あったけれど、それも全部引っくるめて幸せな一年だったな、と私は思っています。

 

そんな感じで、色々あった一年間のことを思い出しながら、文章に留めておきたいことをつらつらと書いていこうと思います。担タレなので例によってそこそこ長い記事になりそうですが、お時間のある方は一オタクの思い出旅行にお付き合い頂ければ幸いです。

数えてみたら12078字でした。笑(この数字は22×549ですが偶然です信じてください)

 

 

①とりあえず自己紹介

経緯を全部省略してしまったので、初めに簡単に自己紹介をしておきます。

 

自担:川島如恵留くん

担当G:Travis JapanSnow Man(箱推し、担当はいない)

ジャニオタ歴:2008年~2014年頃、2018年末~現在

趣味:絵を描くこと

特技:虚妄、脳内で架空のライブを開催する

 

ざっくりこんな感じですかね。

ちなみに私の中で「担当」というのは結構重い概念で、軽々しくは名乗れないし、名乗るからには病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も共にある覚悟を(少なくともその時点では)決めてから名乗る……という、自分の中での誓いみたいなものだったりします。なので恐らく、もう増減することは無いんじゃないかな~……。

 

 

②自担推し推しだった夏

これは本当は単独で記事にしようと思っていて、9ヶ月前からいそいそ書きためていたんですが、一向に書き終わりそうにないので先にこの記事でも書いておこうかな……と思いまして。書きためている方はのえぱら一周年の日にでも出せたらいいな。

 

2020年の8月1日~8月10日に渡って行われたTravis Japanのサマパラは例年と一味違っていた。7人でのパフォーマンスは無し、各自がメインを張る、いわゆる「ソロコンサート」というものだった。私はセクシーも多少は履修していたので、TDCでソロコン、という響きに一層興奮したオタクの一人だった。

そもそもソロコンって人気があってもみんながみんな出来ることではないし、それをチケット戦争無しで見られるなんて、あまりにも恵まれた機会だと思った。だって、仮に自担がソロコンしますってなった時にチケット取れなかったらあまりにもショックすぎる。それが1公演たったの1500円で観られるなんて、実質無料どころかキャッシュバックじゃん……と譫言を呟きながら有給を使い、予定が空いている時間は全部見たという強行スタイルで結局7人分、14公演を見た。当然のことながら、7人のステージはそれぞれ全く違っていて、明日はどんなものが見られるんだろう……と胸をときめかせ続けた10日間は本当に楽しくて幸せで仕方がなかった。

如恵留くんは8月1日に公演を行っていたのだが、これがもう本当にめちゃくちゃ良くて、私の語彙力でどうにかこの素晴らしさを書き留めてはおけないものか……と苦心していたらいつの間にか9ヶ月経っていたくらいには最高のステージだった。Travis Japanのソロコンサート一番手というだけでなく、他のJr.の公演も含めた「サマパラのトップバッター」でもあったこともあってか、「俺たちがジャニーズだ!!!!!!!」と言わんばかりのジャニーズイズムを感じさせるステージ。「誰も置いていかない」という、バリアフリーアイドル・川島如恵留のメッセージをひしひしと感じる、優しくひたむきな演出。ところどころ見え隠れするあざとさと愛の重さ。そしてそれらを全てまとめあげ、最高のステージへと昇華させる圧巻のパフォーマンス力。川島如恵留、ここに在り……!!そう叫び出したくなるような、如恵留くんの魅力をぎゅーーっと閉じ込めた、それはそれは素晴らしいソロコンサートだったと思う。

 

私は如恵留くんのことをずっと「私の理想のアイドル」だと思っているのですが、このソロコンを経てそれがいよいよ確信に変わりました。なんというか、如恵留くんって「もしも私がアイドルだったらこういうアイドルになりたいな」っていうふんわりした理想を具現化してくれるんですよね。如恵留くん自身も「理想のアイドルを自分で体現しようとしてる」と言っていたので、多分この、思い描いている“理想のアイドル像”がすごく近いんだろうな~と思います。だから余計に如恵留くんに憧れてしまうし、どんどん好きになってしまう。だけど、こんなに見ていて楽しいアイドルそうそういないぞ……って思うので本当に如恵留くんは沼です。

こんな調子なので私は正直「のえぱらがナンバーワンやろこんなん……」とか思ってたんですが、サマパラ期間中通話してた中村担が真剣な声で「どう考えてもうみパラが一番良かったよな……」と言っているのを聞いて、やっぱりみんな自担がナンバーワンなんだなあとほっこりした気持ちになりました。

世の中には色んなアイドルがいて、好きなアイドルのタイプも様々で、そんな中でみんな自分の理想のアイドル(に近しい存在)を選び取ってるんだなあと思うと、なんかそういう関係性ごと素敵だなあって感じました。やっぱり担当って特別ですよね

 

 

③IMAGE NATIONという試み(※ネタバレ含みます)

これも本当は単独で記事にしようとしてたんですが、全然書き終わらないので先にこっちでまとめちゃいました。いずれ単独版も上げると思うので、機会があれば読んで頂けると嬉しいです。

 

3月22日、福岡での幕開けとなったTravis Japan Live tour 2021 IMAGE NATION ~全国ツアーしちゃってもいいですかっ!?~』。サマパラ2019に参戦できなかった(全滅)私にとって初のトラジャ単独コンサートということもあって、私は期待と不安とよく分からないドキドキに胸を高鳴らせていた。

今回は表情などをよりじっくり眺めることができたおかげか、現場で爆発的にテンションが上がるというよりは、日常に帰ったあとで徐々に、ゆっくりじんわり浸食していくように熱が上がったのが印象的でした。今回のツアーはホール規模&感染拡大防止のために客席降りもトロッコも無く、ファンサもほとんど無く、そもそも歓声を上げることが禁じられていたため、私たちはどんなに興奮してもそのパッションを心の内に秘めて肩を震わせることしかできなかった。だからこそ、あの時あの場所で発散しきれなかった熱が、日常に帰ったあとも持続していたのかなあと、仕事場でたまにぼんやり考えています(仕事して)

トラジャのオリジナル曲は、今回のツアーで加わった『The Show』も含めて全部で11曲(のはず)。そのうち3曲には明確なコール&レスポンスが設定されていて、別の3曲には「みんなも一緒に!」「手上げろ!(回せ!)」と我々に参加を求めてくるパートが存在している。つまり、実に半数以上の曲が受け手であるファンの存在を前提として作られている。トラジャと同じように(Jr.時代の)オリジナル曲を多く持っているSnow ManSixTONESと比べてもこの比率は圧倒的で、「一方的にパフォーマンスを届けるのではなく、あくまでも観客と一体となってステージを作り上げる」という、エンターテイナーとしての姿勢が表れているのではないでしょうか。

そんなトラジャも今回ばかりはやや方針を転換しており、今までの「トラジャ↔ファン」という構図から「トラジャ間での対立・相互作用→ファン」という新しい構図を生み出した。各メンバープレゼンツのコーナーがあるという点は2019年の『ぷれぜんと』と同じだが、「それぞれが見せたいトラジャ」を手掛けていた『ぷれぜんと』と違い、今回は「それぞれの想像する国家」の「王」となり、コンセプトをより明確にした上でぶつかり合うという構成になっています。

順番は「Moon(月)」「Shine(太陽)」「Passion(情熱)」「Smile(笑顔)」「Innocent(美)」「Nature(自然)」「Love(愛)」で、特に「Moon」「Shine」「Passion」「Innocent」「Nature」「Love」はパフォーマンスが連続していたこともあって、なんだかファンタジー系のミュージカルで群雄割拠している国の設定を紹介されているような気分でした。そんな国々のトリを務める「Love」の最後の曲はHey!Say!JUMPの『White Love』で、そこからトラジャの原点とも呼べる『夢のHollywood』へ繋がっていく。夢ハリ後は映像を挟んで新衣装を身に纏っての『T∀BOO』~『The Show』ブロックなので、恐らく夢ハリで7つの国が溶け合ったんだろうな……という、一オタクの妄想だけで一つの物語が展開できそうなほどストーリー性、メッセージ性のあるコンサートだったように思います。

これは、コロナの関係もあって、いつものようには熱量をぶつけ合えないファンとの関係性に代わって、「Travis Japanというグループ」だった7人が「明確なコンセプト(熱量)を持った個人」となり、それらをぶつけ合う様を提示してくれたのかなあ、と個人的には解釈しています。

 そういった小難しいことを抜きにしても、客席降り無し・ホールのメインステージしか使えないといった制約の中でも動きのある演出になるよう工夫されている箇所が散見され、このような状況においても最良のパフォーマンスを提供してくれるTravis Japanには頭が下がる思いだった。

緊急事態宣言が発令されたり解除されたり、また発令されたりといった慌ただしい状況下でライブを開催することには色々な影響もあったとは思うけれど、こういった非常時だからこそ感じられたパッションというものもあるし(宮近さんの挨拶なんかはまさにその一例だと思う)、私たち観客の前でパフォーマンスをするために一生懸命力を尽くしてくれたTravis Japan、スタッフさん、鉄道や医療やインフラなどの生活を守ってくれている方々など、働く全ての人たちに改めて感謝したいな、と思いました。

早くみんなが気兼ねなく好きなことを楽しめる世の中に戻りますように。

 

 

④『The Show』は究極の愛のかたちなのかもしれない(※ネタバレ含みます)

今回のツアーで披露された新曲、『The Show』。私は音楽的なこともダンス的なことも分からない超絶ド素人だけど、なんかこの曲がものすごくいいな……ということは分かった。というのも、イントロが流れた瞬間からぐっと心を掴まれ、全然知らない状態でもすぐにノリノリになれたから。それでいてポップすぎるわけでもなく、イケイケすぎるわけでもなく、ちょうどいい塩梅のノリで、「あっ、これはTravis Japanのカッコ良さ……!」みたいな謎の感覚があった(語彙力/zero)。なんというかこう……カッコ良いんだけど攻めすぎてなくて、自然体な格好良さ……みたいな。

 

前述したように私は専門的なことなんて全然分からない素人なので、そういった解説なんかは一切出来ません。ただ、自分が抱いた感動を言葉にして留めておきたいという一心でこのブログを書いています。あー分かる、と思って頂ければ御の字だし、そう感じた人もいるんだな、くらいにさらっと読んで頂ければ幸いです。

 

『The Show』はとにかく曲調が格好良いとか、メンバーの仕草・表情が抜群に良いとか、この時着ていた新衣装が良いとか(背面もかなり凝ってて可愛いので本当に設定資料集が欲しい)、最高ポイントはいくつかあるけれど、その中でも私が一番心を動かされたのはこの曲の歌詞でした。

 

(I'm back here……)

宮近さんが静かに「帰ってきたよ」って語り掛けてくるところから始まる曲が良曲じゃないわけなくないですか???  帰る場所がステージなのホント……Travis Japanって感じ……ティジェたん……(?)

 

It's time 始めようか

随分イイ子でSo far 待ってたようだね

いやこの歌詞しめちゃんに当てた人誰ですか?天才の所業ですよこれ。

しめちゃんって可愛い可愛いSweet Tigerだけど同時にちょっとSっ気があるというか、優しいし天然でいじられポジにも回りがちなんだけど、なんだかんだコミュニケーションの上位に立ってるイメージがあるんですよね。そのしめちゃんに「随分イイ子で待ってたようだね」って言われるの、なんか……めちゃくちゃ良くないですか!?

ここは「良い子」でも「いい子」でもなく「イイ子」なのがポイントです(何の?)

 

Crank up 長い時を待ち侘びてたのは

君の方だけじゃないさ

いや〜〜〜これ。このパート。ここ聞いて「アッ……(心臓に刺さる音)」ってなりました。いやまあ確かにアイドル側からしてもそうなのかもしれないけど、それをちゃんと言葉にして、しかも新曲の歌詞として届けてくれるの良くないですか? っていうかこれをこのタイミングの新曲として提供してくれたHIKARIさんが天才すぎる……。

 

(中略)

戻らない時間なら いっそ今夜僕と

全てを置いて行こう Come on, come on

派手に行こうぜ

時間は戻らない。どんなに終わらないでと願ってもライブは終わる。夢はいつか醒める。でも、「それなら僕と全てを置き去りにして楽しもうぜ」って手を引いてくれるんですよね。「Come on, come on」のパート担当が閑也っていうのもあってこう、優しさで手を引かれてる感がすごい。優しいんだけど、「行っちゃおうよ!」という適度な強引さもあるというか……。やっぱ歌割り天才では!?!!?(2度目)

 

Wow-oh-oh-oh……

さあおいで 光の渦へと

Wow-oh-oh-oh……

極彩色の世界へと

しめちゃんが「光の渦」でうみんちゅが「極彩色の世界」に誘ってくるの、分かる〜〜〜!!  実際極彩色の世界がどんな感じかはちょっとよく分からないんですけど、うみんちゅの誘ってくれる「極彩色の世界」、なんか楽しそうだし飽きなそうでいいですよね。なんかよく分からんけど「行く!!」ってなる。

 

Give your give yourself,

Give your give yourself away

戸惑いなんて今は脱ぎ捨てて

私は英語が苦手なのであまり自信はないんですが、まあざっくり訳すと「自由になろうぜ」「ありのままの自分になろうよ」みたいな感じかな?と思います。

ここ如恵留くんのパートなんですけど、「今〜は脱ぎ捨てて♪」で本当にシャツのボタン開けちゃうんですよねめちゃめちゃえっちダァ……(一息)

なんかもう直接的にえっちな仕草してるのに何故か下品にならないの、あれ何なんですかね?お色気仕草も如恵留くんの手に掛かれば芸術的ですらある。

 

(中略)

見飽きただろう仮想現実

This is not, this is not a fancy

リアルな夢ならここに

あきれるほど転がるよ

世はエンターテインメント大戦国時代。次元を問わず、そこら中に「夢」はある。だけどこれは違う。空想なんかじゃなくて「リアル」だ。「リアルな夢」なんだ……というTravis Japan側さんからの訴えだと思ってます。

アイドル(偶像)は夢を見せる存在で、だけど僕らはリアル(ここに実在している人間)なんだ……という。一見矛盾しているようにも思えるけど、仮初めの“ガワ”を持たない三次元アイドルだからこそのスタンスなのかな~と思ったりしました。

これは余談なんですけど、「リアルな夢ならここに~♪」で下を指差す時のちゃかちゃんの表情が良すぎて私の心の中のリトルノエルが暴れていました。ちゃかちゃん表情良すぎて目が足りない。

 

この場所で出会えた 奇跡を噛み締めて

カタルシスの向こうへ Come on, come on

一緒に行こうぜ

全体的に歌詞が良すぎる『The Show』の中でも二番目に好きなのがここです。

私は常々、トラジャや如恵留くんに出会えたことは奇跡のようなものだと思っているので、初めてこのフレーズを聞いたときはもう胸がジーンとして泣きそうになったくらいです。アイドルとファンの関係性と言えど、この世にアイドルって何人いるのかとか、同じ時代を生きられていることとか、たまたま今のタイミングで私がジャニオタやってることとか(※4~5年ジャニーズから離れていたこともあるし)、そういうことを考えるとやっぱり奇跡みたいなものだと思うんですよ。それをね、アイドル側が「奇跡」と言ってくれるのがね、もうたまらなく良い……。私にとっての大切な「奇跡」を、あちらも「奇跡」と捉えてくれているみたいで……なんかもう……大好きだなあって思います(語彙力)

これは用意された歌詞であって本人の言葉ではないのは百も承知なんですけど、なんだか本人が言ってくれているみたいに感じるのは、やっぱりトラジャが真摯であったかいグループだからなのかなあと思います。だってしめちゃんなら言ってくれそうなんだもん。

 

Wow-oh-oh-oh……

さあ踊れ 二度はない夜を

Wow-oh-oh-oh……

誰の邪魔もないこの時を

ここね~、現場で聞くことを考えると最高オブ最高なんですよ。やっぱりライブは生ものなので、例え同じツアー内でも、全く同じ環境・コンディションで観ることって二度と無いし、一番から言及されている「今しかない、この瞬間」の輝きみたいなものが「Show」なのかなあと思ったりしています。

あと単独ライブの場合、基本的にトラジャとトラジャ担しかいませんからね。誰の邪魔(っていうか影響?)も受けない空間で存分に愛情と熱量をやり取りできるってことなのかなって。

 

Give your give yourself,

Give your give yourself away

恥じらいなんてフロアに散らかせ

Wow-oh-oh-oh……

僕のすべてで満たしてあげる

いつもはちょっとシャイなちゃかちゃんに「恥じらい捨てろ」って言われるの、なんかめっちゃ良い。そう、今だけは恥じらいも戸惑いも要らないし、ありのままの自分を解き放って思いっきり楽しむべき!って感じなのかな。

それはそれとして「僕のすべてで満たしてあげる」の元太、顔つきがセクシー通り越して包容力の鬼みたいになってて変な声出そうでした。うちの最年少がこんなにスパダリなわけがない。

 

そうさ One for your loving

And two for the show

余計なものなどもう要らない

 

そう。私はここが一番好きです。ここのフレーズ聞いたときリアルに悲鳴上げそうになった。というか、歓声OKだったら絶対「ヒィン……;;」みたいな泣き声出てた。いやだってそんなことある?ってくらいえげつないですよここ。

またもや私のガバガバ翻訳ではあるんですけど、「第一にあなたの愛に応えるため、第二にショーのため」みたいな感じですよね?まずはあなたの愛に応えるため、の方が日本語は綺麗かな。どっちでもいいか。

なんかもう、これって本当に、アイドルがファンに向ける最大限の信頼であり、特大級の愛だと思うんですよね。だって「あなたの愛」って言い切っちゃうんだもん。愛を向けられていることを疑わず、その上で「僕」は第一にあなたの愛に応えるよって言ってくれるんですよ。あのトラジャが、ショーに全身全霊を懸けているようなTravis Japanが、「ショーのため」より「あなたの愛に応えるため」って言ってくれる。これ以上の愛の言葉ってあるのかなってくらい、重みがすごい。

『The Show』は「邪魔」とか「余計なもの」とか、ちょくちょく語気強めになるところがあるんだけど、この愛の言葉を聞いてからだと余計に染みるんですよね。実際他にも色々と無視できない要素ってあるとは思うんですけど、気持ちの上では、今この時だけは、あなたとショーのために僕はステージに立つよって感じがして……。

 

夢見てるだけ? って嘘でしょう

出会う前にはもう帰れない

で、ここにとどめを刺すように次のフレーズが来る。もうね、ここで心の中の私は号泣ですよ。いや、現実の私もちょっと泣いた。だって、奇跡みたいだって、夢みたいだって、そう思いながらももう生活の一部になっちゃって、トラジャを支えにして毎日生きてるのに。出会う前にはもう帰れないなんて、こっちのセリフだよ!!!!!!!(号泣)

ここの歌詞がやばすぎて、「あれ?この曲ってファン目線の曲だっけ?」って一瞬思ったけど、他の歌詞がパフォーマー視点だからアイドル側のセリフで合ってるんですよね。

いやこんなことある?こんなにファン心を押さえた歌詞、他にないと思う。さっきも言ったように、これはあくまで歌詞なんだって分かってはいるんですけど、もし、もしトラジャのみんなも、“僕”だけじゃなくても、少しでもそんな風に思ってくれているなら、これほど嬉しいことはないと私は思います。(急にのえまると会話するのやめて)

 

……という感じでね、もうあんまりにも『The Show』の歌詞が良すぎて、気付いたら歌詞解釈だけで3436字も書いてました。怖。

『The Show』の何が良いって、「僕たち」じゃなく「僕」で、「君たち」じゃなくて「君」なところなんですよね。実際は7対大勢なんだけど、この曲は徹頭徹尾「僕」と「君」の関係性を歌ってる。あんまりメンバー同士の絡みも無いし、ライブで観ると本当に自担から目を離せないしで、そういうリンク感も相まって余計にこの曲に没入していくような感覚があったんですよ。自担だけをじーっと一心に見つめてる状態で「この場所で出会えた奇跡」だの「One for your loving」だの「出会う前にはもう帰れない」だのって言われたら泣きたくもなります。

この曲はTravis Japanが歌うからこそ、究極の愛の歌となり得るんじゃないかな〜と思いました。いやほんと、今この曲持ってくるのあまりにもずるすぎて白旗掲げるしかないですよ……。

(この曲は愛の歌なんですけど、もしもトラジャとトラジャ担が長い間待ち侘びていた「何か」が訪れた後に歌われる『The Show』は全く別の意味を帯びてくるなあと思ったり……。その「何か」はいつになるか分からないけど、でもいつか必ず来ると信じているので、その時完成する究極のダブルミーニングに今から震えています)

 

 

 ⑤如恵留くんのどこが好きなの?問題

私は川島担で、如恵留くんのことがそれはもうめちゃくちゃ好きなんですけど、ふと「どこが好きなの?」って聞かれると「えーっと……全部?」みたいな答えになってない回答をしてしまうので、この機会にちょっと詳しく言語化してみようと思いまして。

ここまでで既に9000字を超えてるんですが、もう少しお付き合い下さると嬉しいです。

 

一年前の記事でも少し書いたのですが、私が如恵留くんを好きになったきっかけは特に無く、気付いたらなんかものすごく好きになってた(既に手遅れだった)んですよね。トラジャに興味を持ったのはしめちゃんがきっかけで、しめちゃん目当てにトラジャのあれこれを見ていたらいつの間にか如恵留くんのことが好きで堪らなくなっていた。この瞬間、沼落ち!という何かがあったわけではなく、ふとした時に「もしかして私って川島担かも?」と思って名乗ってみたらすごくしっくりきたというか、あるべきところに心が収まったというか、とにかく「これだ!!」という感覚を抱いたわけなんですよ。こんな経緯なので余計に「どこが好き?なんで好き?」が掴みづらいんですが、頑張って掘り下げていこうと思います。

 

私がこんなにも如恵留くんにのめり込んでいる理由の一つに、「如恵留くんと私は似ているから」というものがあります。あっやめて、石投げないで。

如恵留くんの方が徳が高くてハイスペックで可愛くて最高なのは大前提として、ここでの「似ている」はまあ人間の性質を20タイプくらいに分類したら同じ枠組みだろうな……くらいのアレです。まあとにかく似てるなって思う瞬間がちょくちょくあるんですけど、一番は恐らく思い描いている「理想のアイドル像、なりたい自分」が近いところなのかなあと思います。如恵留くんは以前、自分自身が自分の理想のアイドルになれるようにプロデュースしているといった話をしていたことがあって、それを聞いてすごく腑に落ちたような感覚があったんですよね。もしかすると、今の如恵留くんは私の理想そのものではないのかもしれない。でも、そうなろうと努力している姿こそがある意味理想なのかも……みたいな。いや私は何を言ってる?言語化が難しいんですが、同じ理想を追い求める同志であり、自分の先を歩いてくれる道標であり、夢を叶えてくれる存在なんですよね。

あと、如恵留くんは私よりちょっと年上なのも大きいかもしれない。自分に性質が似ていて、自分より長く生きて色んな世界を見ていて、それでいて大好きな人に影響を受けないわけがないんですよ。私より多くのことを体験した人、こうなりたいなって思う人の背中を追い掛けてしまうのはもうなんか、仕方ないことじゃないですか(もっともらしい言い訳)。好きだから追い掛けるし、追い掛けるからどんどん好きになるというラブ・スパイラルが発生してしまうこの構図、めちゃくちゃ危険だなって自分で書いてて思います。まあもう手遅れなんですけどね。

 

もう一つは如恵留くんが、アイドルであることを全うしてくれているから。

私が“川島如恵留”くんならともかく川島如恵留くんのことをきちんと知っているかと言われれば全然そんなことはないし、本人が素を見せているつもりでもやっぱり見えない側面(如恵留くん風に言うなら仮面ですね)ってあるんですけど。でも、如恵留くんはアイドルで、アイドルっていうのは偶像なんですよ。何を見せるのか、どういった像を作り上げるのかを選ぶのはアイドル自身です。だから、私が如恵留くんを見て「人間として好きだな~」と思うということは、如恵留くんがそういった部分を見せることを選択しているということなんですよ。極論を言えば、嘘でもいいんです。見えないところで何をしていたとしても、何を思っていたとしても、それが私から「見えない」ということが大切なので。隠してくれているなら、何だっていいんです。隠しきってくれるなら、私は知らずにいられるから。知らずにいれば、お互いの望む「夢」を見ていられるから。

だから私は意識的にそういうスキャンダルとか匂わせとかカノバレといった系統の情報を遮断しています。それを知ったところで、悲しくなったりすることはあっても楽しい気持ちになることは無いし、隠そうとしてくれていることを自分から暴きにいきたくないんですよね。まあこの辺は個人のスタンスの問題なので、「全部知りたい!」という方もいらっしゃるとは思います。そんなスタンスなので、如恵留くんがノースキャンダルだということもこの間のインタビューで初めて知りました。確かに聞いたことなかったけども(ニヤドヤ顔)(遮断してるからかもしれないけど、トラジャってほとんどの人はスキャンダル聞かない気がする)

ちょっと話が逸れましたが、そうやって理想を目指してアイドルを全うしてくれているんだなあと実感できるからこそ、安心して心を預けられるんですよね。もうほんとに大好き。投資先として優良すぎる……(この例えが出てくるところもすごく好きです)

 

ビジュアルがいいとか、愛重いところが好きだとか、そういったことは普段からちょくちょくTwitterで呟いたりしているので、今回は普段あまり言語化していない部分を掘り下げてみたんですが……

うん、重い。ファンレターに書けないくらい重い。

でも、2021年の私はこんな風に思ってたんだな~という日記代わりのブログでもあるので、この気持ち悪さ重さも文字にして残しておこうと思います。2020年より格段に気持ち悪くていい感じ。

 

 

というわけで、この一年くらいでブログに書きたかったことをざーーっと全部書いたらまさかの12000字超え。ブログはこまめに書こう。

トラジャっていうかほぼほぼ如恵留くんグヘヘみたいな話しかしていなかったけど、私は今年もTravis Japanが大好きなままこの日を迎えました。トラジャのみんな、トラジャが見せてくれた景色、トラジャが繋いでくれた縁、その全部が私の宝物で、私のサードプレイスの宝箱に閉じ込めた、とびっきり大切なものたちです。この影響力たるや、もう欠片どころじゃないですよ如恵留くん。会えなくてもずっと元気をくれて、どんな日も寄り添ってくれて、やっぱり7人は私のヒーローだった。

 

これから先もずっと大切にするから、大切にしてね。

ずっと健やかでいるから、健やかでいてね。

きっと幸せでいるから、幸せでいてね。

 

心から、大好きです。

また一年、どうぞよろしくね。

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トラジャ担一周年記念日

私がTravis Japanというアイドルを応援しようと決めた日から、ちょうど一年が経った。

 

先程ぼんやりと「そういやもうすぐ一年か……」と写真フォルダを眺めていたのだが、同時に「え?まだ一年しか経ってないの……?」という衝撃に襲われたため、彼らに出会い、彼らを好きになり、そして”彼”を好きになったあとの話も書き残しておこうと思います。

十年後の私が何を好きで、どんな風に生きているかは分からないけど、きっと「Travis Japan」というグループや「川島如恵留」という人の名は私の人生に刻み込まれていることだろうし、彼らを好きになった私のことを思い出す材料の一つになればいいと思っています。つまりは日記みたいなものなので、お時間のある方はこの思い出旅行にしばしお付き合い頂ければ幸いです。

ちなみに担タレなのでこのブログは7000字以上あります。短めののえまるくらいはあるので嫌な予感がした方はブラウザバックでお願いします。

 

 

 

 

 

まず、私がTravis Japanというグループをきちんと認識したのは2019年3月24日のこと。この日はザ・少年倶楽部セレクションSPが放送されており、私はHDDの残量を増やすためにいそいそと編集作業に勤しんでいた。

この時の私はほぼキンプリにしか興味が無く、知っているJr.もストスノ(何人かは顔が曖昧)とはしみずと西畑大吾くんと向井康二くんくらいのレベルであったため、機械的にキンプリが出てる、出てない、と部分削除を行っていたのだが、その中でも私に衝撃をもたらしたパフォーマンスがあった。

Travis Japanの『Happy Groovy』。トラジャのことは誰一人知らなかったけど、調教されたオタクの息の揃いすぎているコール&レスポンスに圧倒され、「この曲は残しておかなければ……」という使命感に駆られてしまった私。

そしてこのHappy Groovyを残したことが、ジャニオタとしての私の大きな転機となるのである。

 

そしてこの直後、私は映画「少年たち」を観に行ったことをきっかけにJr.界隈に頭から突っ込み、すごい勢いでストスノ沼に落ち、当時のJr.チャンネルメンバーであるストスノトラHi美の動画を見漁る日々を送っていた。

担当はキンプリにいるけど、なんせ彼は今お休み中なので活動をリアルタイムで追い掛けることは出来ないし、Jr.にも担当がいてもいいかもしれない。そんなことを思いはしたけど、結局この時点で担当が決まることはなかった。この時はSixTONES京本大我くんか松村北斗くんが候補だったのだけれども、私はきょもほくのことが同じくらい好きで、どちらかが突出してどうこうというのが無かったし、まあ現場に行って生で見れば決まるかな~とか何とか考えていたくらいだった。

まあつまり、推しはいっぱい出来たけど、ビビッとくるような担当は見つからなかった。

余談だが、私にとっての「担当」は結構重い概念で、軽々しくは名乗れないし、名乗るからには病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も共にある覚悟を(とりあえずその時点では)決めてから名乗る……みたいな、ある種誓いの言葉じみているところがある。思えばこの時点で自担への伏線張られてるの面白すぎる。

 

次の大きな転換点は2019年5月16日。YouTubeで配信された一本の動画がきっかけだった。

youtu.be

トラジャが下北沢でお食事会をしながら、今までやこれからについて真剣にトークを交わすこの動画。

これまでトラジャのことは「なんかそんな子たちいるよね~。ちっちゃくてかわいい!この中で気になるのはしめちゃんかな。あとキャラ的にのえママ」くらいにしか思っていなかった私だが、この動画を見てうっかり泣いてしまった(やばいやつ)。

この子たち、こんなに色々考えてたんだ。

私がポテチ片手に笑いながら見ていた動画の裏側にはこんな思いがあったんだ。

ふとした言葉、立ち位置、全部全部に意味があって、みんな何が最良か分からない中で探り探り、日々懸命にやっているんだ。

な、なんて真面目で努力家なんだ……!!

この子たちに報われて欲しい。

この子たちが報われる世界であってくれ。

いや、私がこの子たちを幸せにするんだ……!!!!(号泣)

……いや、突っ込みどころしかないのは自分でも分かってるんですよ。

まずお前は誰目線で動画見てるんだよ。あとこの子この子って言ってるけど同世代だし、何ならほとんど年上だし。私が幸せにするって言ってもお前の力なんかそよ風以下だよ。

それでも私はそう思ってしまった。「報われて欲しいな~」とかそんなのんきな他力本願じゃなく、他でもない私自身が彼らのファンとなって、彼らの道行きを微力ながら支えていきたい。嬉しいことも悔しいことも全部共有していきたい。彼らと共に歩んでいきたい……!!彼らが見せてくれる素晴らしい景色(多分)を、彼らのファンとして一番近くで見ていたい……!!

突っ込みどころ満載でもそう思ってしまったんだから仕方ない。私は腹を括ってトラジャ担になった。そこでまたぶつかるのが「で、結局担当誰なの?」問題。今までは誰か個人を好きになる→その人を追い掛けているうちに所属グループをまるごと好きになる……という流れだったため、誰が担当なんだろう……なんてあまり考えたことはなかったのだが、スト・スノ・トラ全グループでこの問題にぶち当たった私は、「取り敢えず保留で!」と例によって未来の私に全投げすることにした。

まあ今は分からなくてもそのうち分かるはず。現場行って生で見たらはっきりするかもしれないし……と約一ヶ月前と同じことを言いながら担当不在のままトラジャ沼に落ちていった。(ちなみにSixTONESは現場二回行ったけど未だに最推しが定まっていない)

ちなみにこの時点での候補は七五三掛龍也くん(私がトラジャを見るようになったきっかけ。顔がかわいい→全てがかわいい)川島如恵留くん(のえママ。クソ長いブログの文体が非常に好み。声も好き)の二人で、「ビジュアルならしめちゃんで内面ならのえママかな~」と思っていた。

 

こうしてトラジャ担になり、とらちゅーぶを全て視聴し、当時まだ健在だった局動画も漁り尽くし、パフォーマンス動画を中心にお気に入りの動画を周回する日々。少クラは大馬鹿者(と書いて「過去の私」と読む)のせいでほとんど消去してしまっていたけれど、唯一残してあったHappy Groovyを「たまには違う曲にして」と家族からクレームを入れられるレベルでリピートしまくり、合いの手も完璧、今すぐ現場に行けるぜ!という感じに仕上がっていた。

そんなある日のこと。日課のHappy Groovyをリビングで見ていると、通りすがりの母が「やっぱちゃかが印象に残るなあ」という感想を零した。ちゃか、もとい宮近くんはトラジャの誇るセンターであり、カメラに抜かれる回数も比較的多い方なので母の感想は何も不思議なものではなかったのだが、そうやって改めて客観的に他人から言及されると、「私にとってはそうだっただろうか?」という気持ちが私の中に湧き上がった。何も考えずにこのパフォーマンスを何百回と見ているけれど、私はそのような感想を抱いていなかったからだ。じゃあ一体誰が……?そう考えてみると、脳裏にぼんやりと一人の人物の姿が浮かび上がってきたのである。

そう。

川島如恵留くん。

軽快に合いの手を入れ、観客を煽り、カメラに向かって不敵に微笑む姿。私にとって、Happy Groovyという曲を象徴するメンバーは他でもない彼だった。そしてよくよく考えてみれば、私は最初しめちゃん見たさにトラジャを見ていたはず。なのに、気付けばいつも私の視界には如恵留くんがいる。

ハピグルは如恵留くんが比較的センターに来る曲なので、印象に残っていたのはそのせいだと思っていたこともあるけれど、如恵留くんが真ん中にいようが端にいようが、真っ先に見つけて認識するのはいつも如恵留くんで。せっかくしめちゃんを見つけても、隊形異動するとまた如恵留くんと目が合って、あっその隣がしめちゃんだ……の繰り返し。

だから何と言うか、如恵留くんは意識せずとも常に私の視界にいるのである。ただでさえそうなのに、如恵留くんはステージ上でよく回ったり飛んだりするのでその度に視線を持っていかれてしまう。

youtu.be

このYouTube Brandcastの動画は私のお気に入りの一つで、なんと一本でスノトラを同時に浴びられる上に、如恵留くんのアクロバットまで堪能出来る至上の動画だ。これを見てもらえれば分かる通り、如恵留くんのアクロバットは本当の本当に罪深い。だって誰を見ていても一瞬で如恵留くんに全てを持っていかれる。トラジャでこんなにぐるぐる回るのは彼しかいないと分かっていても、毎回毎回懲りずに如恵留くんを見てしまうのだ。

しなやかな肢体、先端まで神経の行き届いた指先、軽やかな着地、腕の振り方、その全てが息を呑むほどに美しい。今までに見てきたどんなアクロバットよりも美しい、と思った。優美で、洗練されていて、彼の美意識が滲んで見えるような、圧倒的なステージパフォーマンス。私はきっとその全てに魅了されていたんだと思う。ハッとするような、”今、この瞬間”という決定的な何かがあったわけではないけれど、何度も何度も彼のパフォーマンスを見るうちに、じわじわと熱が昂ぶっていくように少しずつ少しずつ浸食されていて、気付いた時にはもうほとんど手遅れだった。

考えれば考えるほど、意識も視線も彼に奪われていることに気付いてしまって、私はめちゃくちゃに動揺した。だってこんなの、好きみたいだ。いや、好きなんだけど、元々トラジャで二番目くらいには好きだったんだけど、自分が思っていたよりもひどく如恵留くんにやられていたことを自覚してしまった。正直もうビビッときてしまっていたのだけれども、私は何故かまだ謎の抵抗を続けていて、まだ違う、まだ、と口をぱくぱくさせていた。

 

そんな私が完全敗北を自覚したのは、趣味の一つでもある「ジャニオタのはてブロ巡り」をしていた時のことだった。いつものようにネットの海を漂っている時に見つけたとあるブログに書かれていた一言が、私の心臓に突き刺さったのである。

それは、「俺の愛は重いんだよ」という言葉。

如恵留くんの言葉として記されていた、その言葉。

オレノアイハ オモインダヨ……?

そう言えばとらちゅーぶで「俺って愛重い系じゃん?」などと言っていたような気もするけれど、え、まさかあれってガチだったのか。っていうか、「愛重い系じゃん?」なんて軽く言うのと「俺の愛は重いんだよ」って言われるのでは重みが違うではないか。話が違うぞ。どうなってるんだ。

お、俺の愛は重い……俺の愛……如恵留くんの愛……重い……お、重いのかあ……と思考停止に陥り、うわごとのように同じ言葉を呟きながらスマホにかじりつけば、「好きな人には週14回会いたい」という過去の発言が出てきてしまい、私は手で顔を覆うしかなかった。

ガチじゃん。もうそれは愛重い系とかじゃないじゃん。異常に重い人じゃん。メンバーのことをデロデロに甘やかす姿を思い出しちゃったけど、もろにそうじゃん。なんで過去の私はあれを「仲良しだなあ(笑)」みたいなテンションで流せていたんだろう。メンバーに対しても好きな人に対しても、めちゃくちゃに重たい愛を惜しみなく注ぐタイプじゃん。でも絶対ただただ甘やかすだけじゃなくて、甘やかしてあげるから甘やかしてほしいタイプじゃん。しんど……………………。

何がそこまで私にクリティカルヒットしたのかは今でも分からないのだが、川島如恵留=愛が重い」の方程式が頭の中で確立した瞬間、もうダメだと思った。

他の誰でもない如恵留くんが、あの顔で、あのスペックで、そしてあの声で、愛が重いというその事実に何故か異常な程のときめきを感じてしまい、ああ~~~~……と奇声を上げて部屋の床を転がった。完全なる敗北だった。まだ違う、などとはもう言えない。私は完全に川島如恵留に落ちていた。意識も感情も何もかもを如恵留くんに塗り替えられていた。

それから数日間、私はほとんど死に体でトラジャの動画を見ていた。今までは何気ないワンシーンだったはずのものが、いちいち私の真ん中を刺し貫いていくようになった。ふとした瞬間の如恵留くんの視線や息づかいの一つ一つに、頭が煮詰まっていくような感覚があった。この期間は今から考えても本当に頭がおかしかったので、毎晩菅田将暉の『まちがいさがし』を聴きながら眠っていた。でも本当に、如恵留くんに白旗を揚げて、彼の目に貫かれたと自覚した瞬間、何もかもが変わり果てた気がしてしまったのだ。

(一応誤解の無いように言っておくと、私は別に愛が重い人全般が好きなわけではなくて、「あの」如恵留くんが愛が重いという事実にやられてしまっただけなんです。その組み合わせがダメだっただけなんです)

 

そんな期間を経て、私はついに川島担を名乗ることを決意した。トラジャ担になったのとは違って正確な日付は覚えていないけれど、「川島担です」と名乗ってみた時、自分でも驚くほどすんなりとその言葉が入ってきたのははっきりと覚えている。そうか、私は川島担だったんだな。そこに、以前までのような謎の躊躇いや抵抗はなかった。ただ、如恵留くんが担当という事実がすとんと胸に落ちて、在るべきものが在るべきところに収まったような、そんな充実感に満ちていた。

(ところで、私はいつも川島担・如恵留担・のえ担のどれを名乗るか迷ってしまうんだけど、世の如恵留くんの担当さんはどれを採用しているんだろうか)

 

そこから先はもう転げ落ちるみたいに加速して(ⒸCrazy Accel)、8・8の配信をカラオケで見て錯乱して帰れなくなったり(推しのデビュー発表と自担の泣き顔を同時に見てしまって情緒がめちゃくちゃになった)、Endless SHOCKで初めて生の如恵留くんを拝んで改めて「とぅき……」となったり、オースティン1日目終演後に流れてきたセトリが良すぎて翌日の朝にチケット取って新幹線・夜行バスも予約して弾丸で横浜に行ったり、そこでのえしめの波動にやられて夜中のマクドで一人ポテトを貪ったり、自担のシンデレラガールを反芻して死んだり、虎者でまた如恵留くんに魅了されたり、まるで双子のように見えたしめんちゅに目覚めたり、宮近さんの「OH VERY GOOOOOOOD……」を被弾してしんどくなったり、本当に、本当に色々なことがあった。トラジャと直接関係のないところでは私はその間に一つ歳を取ったし、大好きなおじいちゃんとお別れしたり、精神的にも環境的にも色んなことがあった一年間だった。

色んなことがあったけれど、トラジャを好きになって、トラジャと共に過ごした一年間はべらぼうに楽しかった。トラジャが一つ一つ夢を叶えていく度に、まるで自分の夢が叶ったように嬉しかったし、トラジャをきっかけに色んな人と交流を持つことも出来た。トラジャを追い掛けて、行ったことの無い場所に一人で飛び込んだり、自担に触発されて資格試験にチャレンジしたり、トラジャがくれた経験は全部キラキラと輝いていて、クサいことを言うようだけれど(今更だよ)、これが青春なんだと思った。

高校を卒業したときに青春は終わってしまったのかと勝手に思っていたけれど、まだここにあった、青春真っ只中で夢を追い続けるトラジャと一緒に歩んでいたら、いつの間にか私もたくさん青春を謳歌していた。客席から見上げるステージだけじゃなくて、この全てが「トラジャが見せてくれた素晴らしい景色」なんだと思った。

彼らと共に歩んでいきたいと願った一年前の私がドヤ顔をしているような気がした。

 

十年後、きっとこの日々は青春だったのだと私は言うだろう。

岩橋玄樹くんというアイドルに出会って、彼に手を引かれるように再びジャニーズの沼に飛び込んで、その先で出会ったTravis Japanというグループと、川島如恵留くんという人のこと。彼らが見せてくれた新しい世界。その全てが愛おしい、私の大切な宝物。

アイドルなんてって人は言うかもしれないけど、私は彼らから得難いものをたくさん受け取っている。だからこれでいいのだと思った。

この一年、私がつらい時、悲しい時、寂しい時、傍らにはいつも7人がいてくれた。直接手を握ってはくれないけれど、しょげそうになる心を支えて、えらい!って褒めてくれて、笑わせてくれて、ちゃんと私のヒーローになってくれた。

 

Travis Japanを好きになって良かった。

Travis Japanに出会えて、良かった。

Travis Japanがアイドルでいてくれて良かった。

 

心から、大好きです。

また一年、どうぞよろしくね。

 

 

 

P.S.

私にとって「アイドル」というのは、誰かにとっての希望、救いになれるもので、別に歌って踊らなくてもいいし、何なら人間じゃなくたっていいし、実在していなくてもいいと思っている。

顔も名前も知らない誰かの生きる意味になれるって、すごく残酷で、でもすごくすごく素敵なことだと思う。

私にとって、如恵留くんは尊敬する人間であり、理想のアイドル(自担)であり、好きな人であり、ちょっと神格化してしまう"推し"でもあり、それからほとんど知らない「川島如恵留」という人でもあるから、「アイドル」というのも一側面にはなってしまうんだけど。

それでも、私にとっての「アイドル」は如恵留くんの形をしているよ。

……という、のえまるに対するアンサーでした。