世界征服までのカウントダウン

好きなものを、好きな時に、好きなだけ。

トラジャ担一周年記念日

私がTravis Japanというアイドルを応援しようと決めた日から、ちょうど一年が経った。

 

先程ぼんやりと「そういやもうすぐ一年か……」と写真フォルダを眺めていたのだが、同時に「え?まだ一年しか経ってないの……?」という衝撃に襲われたため、彼らに出会い、彼らを好きになり、そして”彼”を好きになったあとの話も書き残しておこうと思います。

十年後の私が何を好きで、どんな風に生きているかは分からないけど、きっと「Travis Japan」というグループや「川島如恵留」という人の名は私の人生に刻み込まれていることだろうし、彼らを好きになった私のことを思い出す材料の一つになればいいと思っています。つまりは日記みたいなものなので、お時間のある方はこの思い出旅行にしばしお付き合い頂ければ幸いです。

ちなみに担タレなのでこのブログは7000字以上あります。短めののえまるくらいはあるので嫌な予感がした方はブラウザバックでお願いします。

 

 

 

 

 

まず、私がTravis Japanというグループをきちんと認識したのは2019年3月24日のこと。この日はザ・少年倶楽部セレクションSPが放送されており、私はHDDの残量を増やすためにいそいそと編集作業に勤しんでいた。

この時の私はほぼキンプリにしか興味が無く、知っているJr.もストスノ(何人かは顔が曖昧)とはしみずと西畑大吾くんと向井康二くんくらいのレベルであったため、機械的にキンプリが出てる、出てない、と部分削除を行っていたのだが、その中でも私に衝撃をもたらしたパフォーマンスがあった。

Travis Japanの『Happy Groovy』。トラジャのことは誰一人知らなかったけど、調教されたオタクの息の揃いすぎているコール&レスポンスに圧倒され、「この曲は残しておかなければ……」という使命感に駆られてしまった私。

そしてこのHappy Groovyを残したことが、ジャニオタとしての私の大きな転機となるのである。

 

そしてこの直後、私は映画「少年たち」を観に行ったことをきっかけにJr.界隈に頭から突っ込み、すごい勢いでストスノ沼に落ち、当時のJr.チャンネルメンバーであるストスノトラHi美の動画を見漁る日々を送っていた。

担当はキンプリにいるけど、なんせ彼は今お休み中なので活動をリアルタイムで追い掛けることは出来ないし、Jr.にも担当がいてもいいかもしれない。そんなことを思いはしたけど、結局この時点で担当が決まることはなかった。この時はSixTONES京本大我くんか松村北斗くんが候補だったのだけれども、私はきょもほくのことが同じくらい好きで、どちらかが突出してどうこうというのが無かったし、まあ現場に行って生で見れば決まるかな~とか何とか考えていたくらいだった。

まあつまり、推しはいっぱい出来たけど、ビビッとくるような担当は見つからなかった。

余談だが、私にとっての「担当」は結構重い概念で、軽々しくは名乗れないし、名乗るからには病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も共にある覚悟を(とりあえずその時点では)決めてから名乗る……みたいな、ある種誓いの言葉じみているところがある。思えばこの時点で自担への伏線張られてるの面白すぎる。

 

次の大きな転換点は2019年5月16日。YouTubeで配信された一本の動画がきっかけだった。

youtu.be

トラジャが下北沢でお食事会をしながら、今までやこれからについて真剣にトークを交わすこの動画。

これまでトラジャのことは「なんかそんな子たちいるよね~。ちっちゃくてかわいい!この中で気になるのはしめちゃんかな。あとキャラ的にのえママ」くらいにしか思っていなかった私だが、この動画を見てうっかり泣いてしまった(やばいやつ)。

この子たち、こんなに色々考えてたんだ。

私がポテチ片手に笑いながら見ていた動画の裏側にはこんな思いがあったんだ。

ふとした言葉、立ち位置、全部全部に意味があって、みんな何が最良か分からない中で探り探り、日々懸命にやっているんだ。

な、なんて真面目で努力家なんだ……!!

この子たちに報われて欲しい。

この子たちが報われる世界であってくれ。

いや、私がこの子たちを幸せにするんだ……!!!!(号泣)

……いや、突っ込みどころしかないのは自分でも分かってるんですよ。

まずお前は誰目線で動画見てるんだよ。あとこの子この子って言ってるけど同世代だし、何ならほとんど年上だし。私が幸せにするって言ってもお前の力なんかそよ風以下だよ。

それでも私はそう思ってしまった。「報われて欲しいな~」とかそんなのんきな他力本願じゃなく、他でもない私自身が彼らのファンとなって、彼らの道行きを微力ながら支えていきたい。嬉しいことも悔しいことも全部共有していきたい。彼らと共に歩んでいきたい……!!彼らが見せてくれる素晴らしい景色(多分)を、彼らのファンとして一番近くで見ていたい……!!

突っ込みどころ満載でもそう思ってしまったんだから仕方ない。私は腹を括ってトラジャ担になった。そこでまたぶつかるのが「で、結局担当誰なの?」問題。今までは誰か個人を好きになる→その人を追い掛けているうちに所属グループをまるごと好きになる……という流れだったため、誰が担当なんだろう……なんてあまり考えたことはなかったのだが、スト・スノ・トラ全グループでこの問題にぶち当たった私は、「取り敢えず保留で!」と例によって未来の私に全投げすることにした。

まあ今は分からなくてもそのうち分かるはず。現場行って生で見たらはっきりするかもしれないし……と約一ヶ月前と同じことを言いながら担当不在のままトラジャ沼に落ちていった。(ちなみにSixTONESは現場二回行ったけど未だに最推しが定まっていない)

ちなみにこの時点での候補は七五三掛龍也くん(私がトラジャを見るようになったきっかけ。顔がかわいい→全てがかわいい)川島如恵留くん(のえママ。クソ長いブログの文体が非常に好み。声も好き)の二人で、「ビジュアルならしめちゃんで内面ならのえママかな~」と思っていた。

 

こうしてトラジャ担になり、とらちゅーぶを全て視聴し、当時まだ健在だった局動画も漁り尽くし、パフォーマンス動画を中心にお気に入りの動画を周回する日々。少クラは大馬鹿者(と書いて「過去の私」と読む)のせいでほとんど消去してしまっていたけれど、唯一残してあったHappy Groovyを「たまには違う曲にして」と家族からクレームを入れられるレベルでリピートしまくり、合いの手も完璧、今すぐ現場に行けるぜ!という感じに仕上がっていた。

そんなある日のこと。日課のHappy Groovyをリビングで見ていると、通りすがりの母が「やっぱちゃかが印象に残るなあ」という感想を零した。ちゃか、もとい宮近くんはトラジャの誇るセンターであり、カメラに抜かれる回数も比較的多い方なので母の感想は何も不思議なものではなかったのだが、そうやって改めて客観的に他人から言及されると、「私にとってはそうだっただろうか?」という気持ちが私の中に湧き上がった。何も考えずにこのパフォーマンスを何百回と見ているけれど、私はそのような感想を抱いていなかったからだ。じゃあ一体誰が……?そう考えてみると、脳裏にぼんやりと一人の人物の姿が浮かび上がってきたのである。

そう。

川島如恵留くん。

軽快に合いの手を入れ、観客を煽り、カメラに向かって不敵に微笑む姿。私にとって、Happy Groovyという曲を象徴するメンバーは他でもない彼だった。そしてよくよく考えてみれば、私は最初しめちゃん見たさにトラジャを見ていたはず。なのに、気付けばいつも私の視界には如恵留くんがいる。

ハピグルは如恵留くんが比較的センターに来る曲なので、印象に残っていたのはそのせいだと思っていたこともあるけれど、如恵留くんが真ん中にいようが端にいようが、真っ先に見つけて認識するのはいつも如恵留くんで。せっかくしめちゃんを見つけても、隊形異動するとまた如恵留くんと目が合って、あっその隣がしめちゃんだ……の繰り返し。

だから何と言うか、如恵留くんは意識せずとも常に私の視界にいるのである。ただでさえそうなのに、如恵留くんはステージ上でよく回ったり飛んだりするのでその度に視線を持っていかれてしまう。

youtu.be

このYouTube Brandcastの動画は私のお気に入りの一つで、なんと一本でスノトラを同時に浴びられる上に、如恵留くんのアクロバットまで堪能出来る至上の動画だ。これを見てもらえれば分かる通り、如恵留くんのアクロバットは本当の本当に罪深い。だって誰を見ていても一瞬で如恵留くんに全てを持っていかれる。トラジャでこんなにぐるぐる回るのは彼しかいないと分かっていても、毎回毎回懲りずに如恵留くんを見てしまうのだ。

しなやかな肢体、先端まで神経の行き届いた指先、軽やかな着地、腕の振り方、その全てが息を呑むほどに美しい。今までに見てきたどんなアクロバットよりも美しい、と思った。優美で、洗練されていて、彼の美意識が滲んで見えるような、圧倒的なステージパフォーマンス。私はきっとその全てに魅了されていたんだと思う。ハッとするような、”今、この瞬間”という決定的な何かがあったわけではないけれど、何度も何度も彼のパフォーマンスを見るうちに、じわじわと熱が昂ぶっていくように少しずつ少しずつ浸食されていて、気付いた時にはもうほとんど手遅れだった。

考えれば考えるほど、意識も視線も彼に奪われていることに気付いてしまって、私はめちゃくちゃに動揺した。だってこんなの、好きみたいだ。いや、好きなんだけど、元々トラジャで二番目くらいには好きだったんだけど、自分が思っていたよりもひどく如恵留くんにやられていたことを自覚してしまった。正直もうビビッときてしまっていたのだけれども、私は何故かまだ謎の抵抗を続けていて、まだ違う、まだ、と口をぱくぱくさせていた。

 

そんな私が完全敗北を自覚したのは、趣味の一つでもある「ジャニオタのはてブロ巡り」をしていた時のことだった。いつものようにネットの海を漂っている時に見つけたとあるブログに書かれていた一言が、私の心臓に突き刺さったのである。

それは、「俺の愛は重いんだよ」という言葉。

如恵留くんの言葉として記されていた、その言葉。

オレノアイハ オモインダヨ……?

そう言えばとらちゅーぶで「俺って愛重い系じゃん?」などと言っていたような気もするけれど、え、まさかあれってガチだったのか。っていうか、「愛重い系じゃん?」なんて軽く言うのと「俺の愛は重いんだよ」って言われるのでは重みが違うではないか。話が違うぞ。どうなってるんだ。

お、俺の愛は重い……俺の愛……如恵留くんの愛……重い……お、重いのかあ……と思考停止に陥り、うわごとのように同じ言葉を呟きながらスマホにかじりつけば、「好きな人には週14回会いたい」という過去の発言が出てきてしまい、私は手で顔を覆うしかなかった。

ガチじゃん。もうそれは愛重い系とかじゃないじゃん。異常に重い人じゃん。メンバーのことをデロデロに甘やかす姿を思い出しちゃったけど、もろにそうじゃん。なんで過去の私はあれを「仲良しだなあ(笑)」みたいなテンションで流せていたんだろう。メンバーに対しても好きな人に対しても、めちゃくちゃに重たい愛を惜しみなく注ぐタイプじゃん。でも絶対ただただ甘やかすだけじゃなくて、甘やかしてあげるから甘やかしてほしいタイプじゃん。しんど……………………。

何がそこまで私にクリティカルヒットしたのかは今でも分からないのだが、川島如恵留=愛が重い」の方程式が頭の中で確立した瞬間、もうダメだと思った。

他の誰でもない如恵留くんが、あの顔で、あのスペックで、そしてあの声で、愛が重いというその事実に何故か異常な程のときめきを感じてしまい、ああ~~~~……と奇声を上げて部屋の床を転がった。完全なる敗北だった。まだ違う、などとはもう言えない。私は完全に川島如恵留に落ちていた。意識も感情も何もかもを如恵留くんに塗り替えられていた。

それから数日間、私はほとんど死に体でトラジャの動画を見ていた。今までは何気ないワンシーンだったはずのものが、いちいち私の真ん中を刺し貫いていくようになった。ふとした瞬間の如恵留くんの視線や息づかいの一つ一つに、頭が煮詰まっていくような感覚があった。この期間は今から考えても本当に頭がおかしかったので、毎晩菅田将暉の『まちがいさがし』を聴きながら眠っていた。でも本当に、如恵留くんに白旗を揚げて、彼の目に貫かれたと自覚した瞬間、何もかもが変わり果てた気がしてしまったのだ。

(一応誤解の無いように言っておくと、私は別に愛が重い人全般が好きなわけではなくて、「あの」如恵留くんが愛が重いという事実にやられてしまっただけなんです。その組み合わせがダメだっただけなんです)

 

そんな期間を経て、私はついに川島担を名乗ることを決意した。トラジャ担になったのとは違って正確な日付は覚えていないけれど、「川島担です」と名乗ってみた時、自分でも驚くほどすんなりとその言葉が入ってきたのははっきりと覚えている。そうか、私は川島担だったんだな。そこに、以前までのような謎の躊躇いや抵抗はなかった。ただ、如恵留くんが担当という事実がすとんと胸に落ちて、在るべきものが在るべきところに収まったような、そんな充実感に満ちていた。

(ところで、私はいつも川島担・如恵留担・のえ担のどれを名乗るか迷ってしまうんだけど、世の如恵留くんの担当さんはどれを採用しているんだろうか)

 

そこから先はもう転げ落ちるみたいに加速して(ⒸCrazy Accel)、8・8の配信をカラオケで見て錯乱して帰れなくなったり(推しのデビュー発表と自担の泣き顔を同時に見てしまって情緒がめちゃくちゃになった)、Endless SHOCKで初めて生の如恵留くんを拝んで改めて「とぅき……」となったり、オースティン1日目終演後に流れてきたセトリが良すぎて翌日の朝にチケット取って新幹線・夜行バスも予約して弾丸で横浜に行ったり、そこでのえしめの波動にやられて夜中のマクドで一人ポテトを貪ったり、自担のシンデレラガールを反芻して死んだり、虎者でまた如恵留くんに魅了されたり、まるで双子のように見えたしめんちゅに目覚めたり、宮近さんの「OH VERY GOOOOOOOD……」を被弾してしんどくなったり、本当に、本当に色々なことがあった。トラジャと直接関係のないところでは私はその間に一つ歳を取ったし、大好きなおじいちゃんとお別れしたり、精神的にも環境的にも色んなことがあった一年間だった。

色んなことがあったけれど、トラジャを好きになって、トラジャと共に過ごした一年間はべらぼうに楽しかった。トラジャが一つ一つ夢を叶えていく度に、まるで自分の夢が叶ったように嬉しかったし、トラジャをきっかけに色んな人と交流を持つことも出来た。トラジャを追い掛けて、行ったことの無い場所に一人で飛び込んだり、自担に触発されて資格試験にチャレンジしたり、トラジャがくれた経験は全部キラキラと輝いていて、クサいことを言うようだけれど(今更だよ)、これが青春なんだと思った。

高校を卒業したときに青春は終わってしまったのかと勝手に思っていたけれど、まだここにあった、青春真っ只中で夢を追い続けるトラジャと一緒に歩んでいたら、いつの間にか私もたくさん青春を謳歌していた。客席から見上げるステージだけじゃなくて、この全てが「トラジャが見せてくれた素晴らしい景色」なんだと思った。

彼らと共に歩んでいきたいと願った一年前の私がドヤ顔をしているような気がした。

 

十年後、きっとこの日々は青春だったのだと私は言うだろう。

岩橋玄樹くんというアイドルに出会って、彼に手を引かれるように再びジャニーズの沼に飛び込んで、その先で出会ったTravis Japanというグループと、川島如恵留くんという人のこと。彼らが見せてくれた新しい世界。その全てが愛おしい、私の大切な宝物。

アイドルなんてって人は言うかもしれないけど、私は彼らから得難いものをたくさん受け取っている。だからこれでいいのだと思った。

この一年、私がつらい時、悲しい時、寂しい時、傍らにはいつも7人がいてくれた。直接手を握ってはくれないけれど、しょげそうになる心を支えて、えらい!って褒めてくれて、笑わせてくれて、ちゃんと私のヒーローになってくれた。

 

Travis Japanを好きになって良かった。

Travis Japanに出会えて、良かった。

Travis Japanがアイドルでいてくれて良かった。

 

心から、大好きです。

また一年、どうぞよろしくね。

 

 

 

P.S.

私にとって「アイドル」というのは、誰かにとっての希望、救いになれるもので、別に歌って踊らなくてもいいし、何なら人間じゃなくたっていいし、実在していなくてもいいと思っている。

顔も名前も知らない誰かの生きる意味になれるって、すごく残酷で、でもすごくすごく素敵なことだと思う。

私にとって、如恵留くんは尊敬する人間であり、理想のアイドル(自担)であり、好きな人であり、ちょっと神格化してしまう"推し"でもあり、それからほとんど知らない「川島如恵留」という人でもあるから、「アイドル」というのも一側面にはなってしまうんだけど。

それでも、私にとっての「アイドル」は如恵留くんの形をしているよ。

……という、のえまるに対するアンサーでした。